標高900~1000メートル地点に広がる高原の町「軽井沢」は、明治19年、軽井沢を訪れたカナダ生まれの宣教師のクロフト・ショーにより、軽井沢の魅力を内外に紹介されて以後、保養地、国際親善文化観光都市として現在に至っています。
「江戸時代より水質がよく湧き出る水が豊富なこの湧き水「御膳水」は、いつの頃からか「御水端」と呼ばれるようになったそうです。旅人や宿場人々又本陣などに宿泊する武家諸大名・宮公家門跡の御膳に使用する御膳水として活用され、明治天皇が軽井沢宿本陣敷地内に新設された御昼行在所にて昼食をとられたときもこの御水端の湧き水が御膳水として使用されました。」 (軽井沢町教育委員会の説明文より抜粋)
旧軽井沢の地名「御水端」をそのままギャラリー名として、お目見えしました。
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